本日は、虐待防止・権利擁護研修の講義の一つで20分ほどお話させていただきました
主催は、北海道上川総合振興局保健環境部社会福祉課・札幌法務局・北海道人権擁護連合会
共催:かみかわ相談支援センターねっと
で開催された研修ですが、
障がい当事者からの声としてお話させていただきました。
「虐待」という言葉を、新聞やテレビで聞く機会が多くなってきたのは現実だと思います。
とても悲しい話です。
障がい者だけではなく、自分の子どもに食べ物を与えず・・・というニュースなど見ると
本当に悔しくなります。その子の気持ちを考えると悔しい。
でも、そんなことを考えれない人が、近くにいるかもしれない。
このことも事実です。
このような目に合うなら、自分が親になって育ててあげたい。と思う人はたくさんいるはずです。
では、どうでしょう。
子供ではなく、成人でも、「障がいがあるから」が理由で、差別や虐待を受けている人がいるのも事実です。
自分の周りには、そのような悲しい出来事は、今のところはありませんが、
この権利をしっかり自分自身も理解が必要です。
「虐待」「いじめ」は、目に見えるものではないかもしれません。
暴力ではないかもしれません。
本人が辛い想いしているのに、それに気が付かず繰り返されているかもしれません。
本人が「虐待」を受けた。と言えば、虐待なんです。
「障がい者だから」
「だから」という言葉が、差別や虐待につながります。
長々書きますが、自分達が活動を始めて8年ちょっとになりますが、
どんどん世の中が優しくなってきている気がします。
ですが、今!
このような問題が頻繁にあり、法律ができるということは、
いったいどういう事でしょうか。
難しい問題なので、自分もしっかり考えてみようと思います。
考えるポイントとしては、
「差別」と「区別」の違いです。
「差別」=障がい者だから採用できません。障がい者だから無理ですね。
「区別」=障がい者だから近い場所、見やすい場所を確保しときますね
こういう解釈ですかね?
コメント