miyakawa&盲導犬シルクである。
お盆が過ぎると、北海道は、どんなに暑くても、秋風が吹き始め、
今年も例外ではなく、今朝の気温は、15℃であった。この調子だ
ラソンの頃は、最高気温も、25℃ぐらいではないかと、淡い期待
何故かというと、そう、私が、61歳にして、初フルマラソンに挑
話は遡るが、2002年8月15日に、私は煙草をやめた。
理由は、会社を辞め、函館にある鍼灸マッサージの学校に行き、国
即ち、働かざる者、吸うべからずである。
あれから20年、1度も、煙草をくわえる事もなく、禁煙は続き現
禁煙を始めると同時に、私は走り始めた。函館の学校に行っても、
その年の秋、函館ハーフマラソンという大会があることを知り、エント
その頃は、まだ弱視だったので、1人で出場しようとしたら、学校
ら、伴走者と走らなければ、出場を許可しないと言われたのである
見つからず困っていると、同級生の知人がマラソンをして
出場することが出来るようになった。
そして大会当日、待ち合わせ時間になっても伴走者が来ない。10
経とうとした頃、伴走者が来た。ゴメンゴメン、昨日急に38℃の
さー、病院に行って、点滴を打ってきたよと言うのである。
一抹の不安を抱えてスタートした。千代台陸上競技場を出るのに3
出てからも1キロはダンゴ状態。初参加の私は、イライラが募るば
それでも2キロ過ぎからは、バラけてきて、本来の走りになり、先
と牛蒡ぬき。段々ペースも上がり、5キロ、6キロ地点に差し掛か
が重くなった。どうした?ヤバい。また熱が出てきた。 ふらふらする。わかりまし
た。無理しないで、1人でも走れますからと私。
1人で走ろうとしたその時、俺が一緒に走ってあげるよと、話を聞
ランナーが現れたのである。 その人は 函館市内の高校教師であった
お願いしますとリードを渡し、にわか伴走者とレースを続行したのである。
その後は、アクシデントもなくゴールできるかと思ったが、10キ
ペースダウン。気付けば私が、伴走者の先生を引っ張って走ってい
先生、どうしましたか?と私。ヤバイわ。でも折り返し地点に嫁は
応援に来ているから、もう少し、ええカッコさせてや、と先生。
結局、私は残りの10キロを1人で走り、ゴールの競技場が見えて
者が復活して待っていたので、ラストのトラック1周を2人で、猛
駆け抜けゴールした。
結果は、1時間34分台で、最初のレースとしては、上出来の結果
は、旭川マラソンに飛び入り参加して、ハーフの部1時間33分台
後10年若かったら、本気でパラリンを目指せると勝手に思ってい
その後、フルを走るならホノルルマラソンと決めていたが、離婚や
などなど、がありコロナ禍も重なって、フルへの情熱も薄らいでい
な事から、今年3月に再婚したので、新たな挑戦にトライしようと
をサポートしてくれる、チームmiyakawaと、たくさんの方
ンのスタートラインに立つのである。
スタートまで10日を切って、まだ、ゴールへの確信は持てないが
ナリンが徐々に湧き上がってきているのを感じている今日この頃な
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