miyakawa&シルクである。
道内旅行は何度も学生時代から旅をしたらしく、特に道東は、旭川で生まれ育った私より、回数も多く、詳しいので感心するばかりであったが、しかし、道北となると、旭川以北は、足を踏み入れたことがなく、全てが新鮮な旅になる事、間違いない。
今回は、ある意味予定外だったので、ホテルやフェリーの予約ができたのも、出発の3日前といいう、おまけに
礼文島のホテルは宿泊拒否という、未だにある前代未聞のスタートとなりました。
特急宗谷で、旭川駅を午前9時に旅立ち、最初に待っていたのは塩狩峠。ここは旭川生まれの作家、三浦綾子さんの小説の舞台として、知っている方も多いと思うが、鉄道の旅としては、難所の一つなのである。峠に向かって上り坂が続くと列車は、エンジンを唸らせ始めた。そうなのである。宗谷線は、今もなおディーゼルエンジンの列車なのである。峠の頂上付近では、エンジンが悲鳴をあげて、峠を越えるのであった。小説の時代背景だと、SLだったので、この峠を越えるのは想像を絶するものであったと想像がつく。
士別、名寄、列車は順調に過ぎ、列車は、美深駅に停車した。
それと同時に私は50年前にタイムスリップしたのである。
ここ美深は、私の卒業した小学校がある町なのである。父の仕事の関係で、小学校を3回転校して、4校目の美深小学校が私の母校なのである。
卒業して1週間後、いよいよ引っ越しの日、駅に来てみると、大勢のクラスメイトが見送りに来てくれていたのである。その光景が、見えなくなった今でも、鮮やかに蘇ったのである。
感傷に浸りながら、その事を妻に話そうと、横を見ると、すやすやと眠っているではないか。
さらに列車は進み、音威子府、中川を過ぎた頃には、私も寝落ちしてしまい、車内アナウンスの声で目が覚めた。
エゾシカだ。どうやらエゾシカと衝突したらしい。昔はエゾシカと衝突したぐらいでは、緊急停車や安全点検しなかったような気もするが、生まれ変わったJR北海道は、安全第一で列車の運行をしているのである。
こうして、約15分停車して、4時間近い列車の旅は終わり、稚内に到着したのである。
稚内は、思ったより暖かく、風も無風で、おまけにお祭りの真っ最中で人も多く賑やかで、最北端の街でワクワクしてきた。
稚内駅の駅員さんは、若くてノリもよく、介助歩行も上手であり、美味しい海鮮丼の店を教えてくれた。
タクシーの女性ドライバーも優しく、北海道遺産である稚内ドームを案内して貰い、フェリーターミナルで出港を待った。
実は、駅に到着からフェリーの出港まで4時間近くあり、盲導犬がいるとはいえ、見えない2人が街中を歩ける訳でもなく、どうやって時間を潰そうかと思っていたが、色々な方の親切に触れ、あっという間に出港の時間となりました。特に、フェリーターミナルのKさんには1時間以上も付きっ切りでアテンドして頂き、感謝致します。
フェリーは、障害者割引を利用して一等席を利用させて貰い、広々したシートで、波も穏やかで、ぐっすりと眠れたおかげで、睡眠不足を補う事が出来ました。そして、いよいよ、利尻島に上陸です。
ホテルの社長自ら送迎車を運転してくれて、従業員さんが丁寧にエスコートしてくれて、客室の設備の案内もしっかりしていて、ここまでは満点でした。
ちなみに、視覚障害者にとって、客室の環境を的確に把握するには、まず、エレベーターから部屋までの方向と距離、鍵の種類、水回りで、お風呂のシャンプー、リンス、ボディーソープの並び順、洗面台にあるアメニティーグッズの種類、トイレのボタン、ベッドまわりで、コンセントの位置、テレビのリモコンの使い方、特に音声ボタンの位置を忘れないように、空調システムの操作方法、Wi-Fiのパスワード、フロントへの内線番号、以上最低これぐらいは聞き出さないと快適な客室環境にはならないであろう。
さて、夕食まで時間があるので、2階に大浴場がある事は調査済みだったので、フロントに内線をかけて、大浴場へのアテンドを依頼すると、浴室は温泉で床が滑りやすく、介助する従業員もいないし、怪我をさせたら大変なので、入らないでくださいと、きっぱり言われてしまいました。社長が、送迎車の運転をして頑張っていたので、ここは、冷静に納得して、温泉入浴を断念したのでした。
そうとなったら、夕食に期待してお食事会場へ。そこには、まるで竜宮城に来たような、海の幸が待っていたのでした。ウニに始まり、お造り、タコのしゃぶしゃぶ、ウニの土瓶蒸し、ホタテの浜焼などなど。それに私達に専属にお手伝いをしてくれた、大阪出身のNさんにおもてなし頂き、大満足の一夜となりました。
翌日も朝から豪華な食事でこれまた、大満足で礼文に向かうフェリーの時間まで、ホテルの周りを散策してくれるサービスまでして貰いました。
利尻島から礼文島までは、わずか40分で到着するので、宿泊できないのなら、何をしようと思案している間に着いてしまい、とりあえずウニ丼を食べようと、ターミナルの観光案内所に行くと、漁組の食堂が一番安くていいのですが、今日は休みなんですと言われ、ここの2階にある食堂は3時間待ちだと言われ愕然となり、それまで、観光タクシーで2時間ぐらい案内して貰おうと思ったら、盲導犬はだめだと言われ、爆発寸前のところ、冷静に路線バスで、最北の地、スコトン岬まで行く事にしました。
路線バスの旅も、それなりに楽しく、町の様子が分かったり、他の観光客と話したりしている間に到着。わずか8分で記念撮影をしなければならず、右往左往していると、何度も礼文島を訪れているという方が、私達の手をひいて、撮影スポットに連れて行ってくれたのです。
これでなんとか、帰りのバスに間に合って、礼文島最大の目的ウニ丼にありつけるのであった。
フェリーターミナルの2階の食堂に行き、ウニ丼を食べると、これが本場のウニ。メチャクチャ甘くてうまい!まあ色々あった礼文島だったけど、ウニのうまさに免じて許してあげるわ。しかし、来年は改善していないと出るとこにでますよ(笑)
礼文を早めに切り上げ、1便早いフェリーに乗り込み、稚内のホテルに向かいました。このホテルは元航空会社の直営ホテルで室内もサービスもまあまあでした。
夕食はホテルで済ませようと思いましたが、せっかく稚内に来ているのだから、美味しい居酒屋を紹介して貰い、2人で自力で出かけたのですが、お祭りの出店で道に迷ってしまい、うろうろしていたら、浴衣姿の稚内美人さんが、お店まで案内してくれたのであった。
店に入ると満席で、しかも3組が先に待っている賑わい。
満足そうな顔で帰るお客さんに、待っている甲斐はあるよと言われ、チムどんどんしてきました。
小一時間待ったでしょうか。期待を膨らませて、寿司、天ぷら、キンキの姿煮、ホッケ焼き、蟹甲羅揚げなどなど。どれもうまく、待った甲斐がありました。しかも、お会計が予想の半値ぐらいで済んだのである。ちょっと勇気を出して街に繰り出せば、超ラッキーな出会いと感動が待っていました。
最終日は帰るだけでしたので、ゆっくり朝食を摂り、チェックアウトしても、まだ出発まで2時間あったので、タクシーで稚内公園の氷雪の門を見学に行く事にした。稚内公園は、切り立った山の上にあり、眼下には、稚内の街。稚内ドームが見え、左方には、利尻礼文の島がくっきりと浮かび、遠くには、サハリンの島を、一望できる絶好のロケーションなのである。そしてそこに、氷雪の門と、樺太真岡の電話交換師の石碑があるのだ。私は半世紀前に、この地を訪れた事があり、50年経った今も、ほとんど変わらない風景だったらしいので安心した。
稚内駅は、現役のJRの駅と道の駅がひとつになった珍しい駅で、観光物産館にもなっている観光の拠点であるが、中で働く従業員のマナー教育ができておらず、最後の最後で不愉快な思いをしたが、心優しい観光客のおかげで 塩ソフトクリームと、蟹弁と海鮮弁当を買う事が出来た。
帰りの4時間の車中 お弁当を食べる以外 熟睡して帰路に着いたのは言うまでもない。
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